新歓リレーブログ企画「あなたにとってサークルクラッシュ(同好会)とは?」


こんにちは。サークルクラッシュ同好会会員の午前六時という者です。

そこらへんの大学の文学部3回生になりました。ろくじ(@rokuzi_am6)という名前でTwitterをしています。
サークラ*1でいろいろ企画をしてくださっていた桐生あんず(@anzu_mmm)さんのもとで、昨年秋頃からサークラ会誌の編集をしたり2019年アドベントカレンダーのお手伝いをしたりしておりました。あんずさんは大学を卒業されたので、なんとなく私があとを引き継いでいこうと思っています。

というわけで、サークルクラッシュ同好会新歓リレーブログ第二弾!をやっていこうと思います。

2018年にあんずさんがサークルクラッシュ同好会新歓リレーブログを企画していらっしゃって、当時大学1回生だった私はサークラにくる前に何度もそれを読み返していました。

circlecrash.hatenablog.com

前回のテーマは「あなたはなぜサークルクラッシュ同好会に入ったのか」でした。
今回は「あなたにとってサークルクラッシュ(同好会)とは?」か、サークラの定番自分語りのどちらかでやっていこうと思います。
前回書いていない方やもう一度同じテーマで書きたい方は「あなたはなぜサークルクラッシュ同好会に入ったのか」で書いてくださっても大丈夫です。

 

記事の投稿はサークラ公式Twitter*2(@circlecrush2)で随時告知していきます。
最終日まで終わったら、全員分の記事を集めてサークラブログの方にリンク集みたいにまとめようと思っています。今のところ最終日は4月29日の予定です。

 

この企画が、サークラになんとなく行きづらい人がサークラにくるきっかけになればとても嬉しいです。
あんずさんにならって、私がトップバッターをやらせていただきたいと思います。
「あなたにとってサークルクラッシュ同好会とは」というテーマで、自分とサークラとの関わりを振り返りつつ書いていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。 

 

1. サークラを知ったきっかけ

サークラを知ったのは高校生のときでした。インターネットサーフィンをしていたら、面白法人カヤックというところの広告がでてきたので、なんとなくクリックして企業サイトをみていたとき、サークラについて書かれている記事を見つけました。
おもしろそうなサークルだなあと思って、Studyplus(勉強時間を記録するSNS的なやつ)に「京大受かったらサークラ絶対入ろう」と書いたのを覚えています。

 

2.サークラに初めて行ったときの思い出

現役で京大落ちたのですが、家庭事情的にさっさと進学すべきだと思ったので京都に進出しました。しかし新歓で京大に乗り込む勇気が出ず、適当に自分の大学のサークルに3つぐらい入って新歓期を終えました。
もともと新しい環境に慣れるまでに時間がかかる性格なのと、ホームシックやらカルチャーショックやらで、鬱々としながら2週間おきぐらいに突発的に行動する暮らしをしていました。*3あ、まじめというかビビりなので大学は行ってました(で授業中机に突っ伏して泣いてました。こわいねそりゃあ友達もできないわね...)
そんな感じでなんか死にそうな暮らしをしていたのですが、あるとき突発的にサークラに行くぞ!となり6月末に連絡して7月に例会に行きました。
初例会の人のために例会の思い出を書いておくと、思ったよりも普通な感じの人が多くて、ちょっと拍子抜けしました。一番印象的だったのは、人が集まってきてもみんなそれぞれスマホとかやっててあまり喋っていなかったことです。でも他のサークルみたいに、無理に人々が話している感じがなくていいなあと思っていました。

 

3.その後


そんな感じでサークラLINEに入り、入会しました。(サークラサークラLINEに入ったら入会という感じです。入会金とかないので安心して入れますね)
その後は、サクラ荘パーティーに行ったり、プログラミング勉強会でシェアハウスに遊びに行ったりしながらなんとなくサークラ会員と交流して、夏休みが終わり、秋学期からなんとなくサークラに参加するようになりました。特にNFは楽しかったです。
なるべく月2回行くようにしていますが、試験期間や長期休みはほとんど顔を出していません。個人的には、去年(2回生)の秋に会誌の編集に参加してから、だいぶサークラに対してコミットしてる気持ちになっているので、編集作業やってよかったなあと思っています。

 

4.私にとってサークラとは


振り返ると、高校生のときに部活で人間関係を破壊して以来、何かに夢中になったり一生懸命になったりするのが嫌になってしまって、みんなが一緒になにかやろうとしているとその熱量が怖くて逃げ出してしまうことが大学に入ってから多々ありました。だから私は自分が本当にやりたかったことをやるサークルには入れなかったし、そのほかにも2つぐらいのサークルをやめています。でもサークラはあまり「みんな」を求めないし、参加の仕方も自由です。そういうゆるい環境が、私にとってはちょうどよかったなあと思います。
また、サークル活動の激しさと人間関係の深さはある程度比例関係にあると思っているので、ゆるいサークルだとそんなに友達もできないだろうな〜と思っていたのですが、サークラでは結構内面的なことを皆が話したり書いたりするので、活動がゆるいわりに人と仲良くなりやすいというのもサークラのいいところだと思っています。特に私は、ブログを書く文化にめっちゃ助けられています。直接話さなくても相手のことを知れるのは、友達を作るのが苦手な人間にとってはありがたいです。
さて、そろそろちゃんと問いに答えようと思います。
私にとってサークラとは、一言で言うなら、自分のままで生きていく勇気をくれるところです。私は自分がやばい人だという自覚はあまり持っていない(持たないようにしている)のですが、時々、会話のすれ違いとか、そういう些細なことで、自分が普通の人とずれているんだなあと思い知らされることがあります。
どんな人でも自分は「みんな」から外れているとある程度感じて生きているものだと思いますが、サークラの人たちは自分とみんなのずれに自覚的で、それを自分らしく昇華することになにかしら意味を感じている人が多いと思います。そういう人間がそれぞれ集まっているところで、それぞれの振る舞いを見たり、生き方や考えを聞いたりするのは、とてもいい刺激になっています。
今まで美しい履歴書を保つような生き方しかしてこなかった私は、同時に自分の心のぶっ殺し方も身につけてしまいました。だけど、高校生から大学生にかけて、殺した部分が逆に自分と周囲の人間に刃を向けていることに気がつきました。できることなら、自分の心なんて殺したまま生きていけばいいや、と私は今でも思っています。でも、どうやら私はそれをやってのけるだけの強靭さも器用さもないみたい。いつか私の中で溜まった何かが耐えられなくなって、いままで重ねてきたものを自分の手で破壊してしまうのではないかとずっと恐れています。
そうなる前に、どうにか私は自分を殺さずに生きる方法を見つけたい。性格は変えられないから、どうせまた優等生のふりをしようともがくのだろうけど、それでもせめて殺した部分が余計な血を生むような殺し方をしなくて済むようにしたい。
これが自分と社会と生き方について最近私の考えていることですが、こういうことを言っても笑わずに「そうだね」って言ってくれる人がたくさんサークラにはいます。彼らが言葉の端々から正確に私の気持ちをとらえてそっとそれに触れてくれるとき、そして私が意識して言っていなかったことまで繊細に拾ってくれるとき、私はここにきてよかったなあと思います。

 

こんな感じで終わります。
本当はもっと具体的な話をしてもよかったのですが、今回はなんとなく対外的かつふんわりした文章になってしまいました。機会があったらもっと個人的なことも書きたいですね。


サークラはいつでもだれでも入れます。回生も年齢も大学生かどうかも問いません。参加の仕方も自由なので、ここに心の置き場を作ってくださる方が増えればいいなあと思います。お気軽にお越しください。


明日の担当は藍鼠(@indigo_mou5e)さんです。お楽しみに!!

 

*1:以下サークラサークルクラッシャーの意味ではなくサークルクラッシュ同好会の略称として使います

*2:以前のアカウント@circlecrushは凍結されてしまいました...@circlecrushの凍結は解除されました!

*3:このあたりのことはhttps://am6.hatenablog.com/entry/2018/12/22/235935 にすこし書いています

行くか迷っていた成人式に行った

こんにちは〜

 

地元の成人式に行った話をします。試験があるので簡単に。

 

 

 

この記事をよんでほしい人

この記事を書くのは、成人式に行かない明確な理由はないが、なんとなく成人式に行きづらいなあと思っている人がどうするか決めるための参考になればいいなあと思うからです。

大前提として、浪人、引っ越し、振袖が高い、当日に別の用事がある、会いたくない人がいる、実家に帰りたくない、などなど... なにかしら成人式に行かない理由がある人は自分の感覚を信じて誰がなんと言おうと行かなければいいと思います。周りはなんかいうかもしれないが、成人式は行っても行かなくてもたいした差はないと思う。(せいぜいインスタのフォロワーが数人増えるだけだ。)

 

私について

・小学校では、大抵図書館か教室で本を読んでいた。放課後は塾に行くと決まっていたし、みんながみているテレビの話もわからなかったから、友達らしい友達もほとんどいなかった。そんなんだったが幸いいじめられる対象にはならず、本がお友達のまあまあ平穏な小学生生活を送った。塾のおかげで勉強がすこしできたために先生には目をつけられてしまい、その点では小学校にあまりいい思い出はない。

・同級生について、絶対に会いたくない人もいないが、会いたい人もいない。あまり会いたくない人はいる。

・中学からは市外の私立に行った。小学校卒業を最後に地元の人とは会っていない。

・小学校からの知り合いで連絡をとっていたのは、同じく中学から私立の男子校に行った男の子一人だけ。彼は小学生の頃男子グループにわたしをいれてくれて、休み時間に一緒にサッカーをした。数少ない友達のうちのひとり。というか唯一の友達かもしれない。話がそれてきたのでこの辺で終わろう。

 

成人式に行った感想

私立組でも大丈夫だった

わたしの地元(愛知県某市)は、中学から私立に行くのはだいたいクラスに2人ぐらい、という感じだった。(隠していた子も多かったので5人ぐらいはいたのかもしれない。)わたしの地元の成人式は中学単位で行われるので、私立に行った人は参加しない人も多い。参加してもいいものか迷ったが、私立組はなんとなく肩身の狭いもの同士私立組でまとまったのでちょうどよかった。

人は思ったよりわたしのことなんて気にしていない

小学校を卒業するとき、みんなは「**中に行ってもよろしくな!」という空気なのに、自分だけみんなと違う道に進むことにちょっとした罪悪感のようなものや、疎外感を感じていた。

ときおり地元のスーパーで地元の子を見かけても、そういう昔の罪悪感や疎外感が邪魔をして(もともとコミュ障なのもあるが)声をかけられるのが怖くて気づかれるまえにサッとその場を離れていた。

でも、成人式で家が近所だった子や6年生のとき席が近かった子が気軽に声をかけてきてくれて、そういう気持ちをいまだに持っていたのは自分の考えすぎだったのだなあとなんとなく感じた。そもそも彼らも中学の友達と一堂に会するのは5年ぶりなわけで、大勢の人と会話するのに忙しいのでサッと声をかけてサッと去っていく。同窓会に出席するとか、もっと長い時間話をするとやっぱり当時の周囲とのズレの気持ちを思い出してしまうのかもしれないけれど、式典に出て写真を撮って帰るぐらいならそういう気持ちになることはなかった。

人がたくさんいて会いたくない人に会わずに済んだ

特に女子の場合は、化粧しているので顔がかなり変わっている。みな似たような振袖と髪型で、忙しく中学の友達と写真を撮りあっているので会いたくない人に会わずに済んだ。逆にいうとちょっと会いたいかな、と思っていた人にも会えなかった。

 

まとめ

別に成人式に行かない明確な理由がなくても、行かなくてもいいと思います。でもわたしは明確な理由がないのに成人式に行かなくてもいいのか、ほんとうに後悔しないのかとか、逆に行って嫌な思いをしたらどうしよう、振袖着るのお金かかるしなあとか、インターネットで「行かなくていいよ」「行ってよかったよ」という声をいくらみても、着付けのキャンセル期限ギリギリまでずっと悩んでいました。

自分が成人式に行って嫌な思いをしなかったのには自分でも安心しています。そういうのは一種賭けのようなもので、わたしが大丈夫だったからといってそれが(生い立ちがわたしに限りなく近い人であったとしても)他の人に当てはまるわけではありません。

でも昨年悩んでいた自分に対しては、「そんなに悩まなくても結構行ってみたら大丈夫だったよ、」と思います。

わたしは心配性でコミュ障で人に対して自意識過剰なところがあるので、「こんなことをしてしまったらわたしはもう嫌われてしまったにちがいない/あの子の友達でいる資格はわたしにない」などなど人間関係でだいたい思い詰めています。そういう心配過剰/自意識過剰で成人式に行きづらい人は、案外行ってみたらふと「みんなそんなに気にしてないや」と思えるのかもしれません。

でも結局、成人式なんて行っても行かなくてもたいしてわたし自身はなにも変わらないな、と思います。どうせこれからも心配も自意識も過剰なまま生きていくのだと思います。インスタのフォロワーが少し増えるぐらいです。

たいしたことないなら行ってみるのもいいと思うし、たいしたことないなら行かないのもいいと思います。所感でした。

だれにするでもないはなし

みなさんこんばんは。

これはサークルクラッシュ同好会アドベントカレンダーの22日目の記事です。
遅刻者のいないサークラアドベントカレンダーはないとは言えど、投稿がおそくなってしまってすみません。

去年は恋愛に縁遠かったわたしですが、大学も2年目になりいよいよサークラ会員らしく恋愛の悩みが増えてきたなあといったところです。(検閲により中略 2020.04.03)そのことを書かないようにしようと思うと他のことがなにも書けなくて、こんなに遅くなってしまいました。


何を書いても全てがしっくりこないので、過去に書いたものを使うことにしました。以下の文章は、2019年サークルクラッシュ同好会会誌に投稿した「人を好きになるのがこわい話」の原案のようなものです。今回投稿するにあたりいろいろ手をいれましたが、どこかに齟齬があるかもしれないし今のわたしの気持ちとは少し異なる部分もありますが、読み物として読んでください。 


 これから書くことは、すべてが本当のことではないつもりです。だけれど、嘘をつくのは苦手なので、本当のことばかり書いてしまうかもしれません。でも、もしなにか思い当たる節があったとしても、ここに書かれていることが全て事実であると思わないでください。わたし自身と結びつけないでください。これは瓶詰の手紙と同じ、誰に宛てたものでもないのだから。


中学二年生のときから、高校を卒業するまで、わたしは多分、ある女の子のことが好きでした。

 

彼女が黒板に絵を描いていたのが、彼女の記憶のはじまりだ。四月、掃除が終わった後の教室で、サラサラと絵を描く彼女をみていたのを覚えている。
いつから彼女のことが好きになったのか明確には覚えていないけれど、それ以降に明確に彼女の瞬間を切り取った記憶がない、ような気がするので、もしかしたらその瞬間のひとめぼれ、だったのかもしれないし、もしかしたら最後まで好き、とは違ったのかもしれない。でもとりあえず、どこかのタイミングで好きになった、という前提で、話を続けよう。

好きすぎて話すだけでドキドキしてしまうということが世の中にはあるようだけれど、わたしは案外彼女と普通に話していたと思う。
出席番号が近かったから、掃除のあとや、定期考査期間の放課後に、近くの席の子達と集まって試験の出来やボカロのことを喋っていた。当時カゲプロが流行っていたものだから、じんさんの新曲の話とかしていたと思うんだけど、みんなが話しているのに相槌を打ちながら彼女は黒板にシンタローやエネちゃんの絵を描いていた。その写真がピンクのガラケーに残っている、から、そういうことがあったんだなあと覚えている。
だけれどそれ以上の距離感の詰め方がわからなかったから、普通のクラスメイトの関係のままで、中学二年生が終わった。そのあと彼女と同じクラスになることはなかった。

中学三年生のとき、放課後に集まってテスト勉強をしていたら、友人のうちの一人があるクラスメイトのことが好きだと打ち明けてきて、そこからみんなの好きな人の話になった。わたしは好きな人がいないと嘘をつくことはできないけれど、好きな人の名前は明かさないつもりだったのに、「**ちゃんでしょ?」と一発で当てられた。どうしてわかったのか、もう忘れてしまったけど、廊下ですれ違うときに私が彼女をいつも目で追っていたのに気づいたのかもしれない。
今思いかえすと中学生の頃の記憶は結構おぼろげになってきていて、ほんとうに彼女のことが好きだったのか確証がもてないけれど、この時名前を当てられて焦ったということはきっと好きだったんだろうなあと思う。

少し話がそれるけれど、私の通っていた女子校ではほとんど異性との交流はなくて、先輩と先生と同級生が主な恋愛対象だった。(留学に行った子を除けば、学年に一人男性と付き合っている子がいるぐらいだった。なぜか留学に行った子や帰国子女で編入してきた子は皆彼氏がいたようだった。中学1年生では先輩好きがほとんどで、だんだん学年が上がるにしたがって先生や同級生が好きな子が増えていった。高校2年や3年では、先生や同級生が好きだと公表している人はだいたい5人に3人ぐらいはいた印象である。)
先生とか同性とか、そういう社会的にあまりないパターンでの恋愛事情は複雑だから、みんな好きという感情の幅とあり方の多様さを理解していた。好きだけど付き合いたくないとか、相手に好きなことを知られたくないとか、遠くから見ていられればそれでいいとか、逆に恋愛が無理なら友達として最大限仲良くなりたいとか、いろいろ。そういうことをちゃんと聞いてくれて認めてくれる友人と中高生を過ごせたことはとてもありがたかったと思う。

その後も、文化祭の時に彼女の発表を見に行ったぐらいで、特になにもないまま高校三年間が過ぎていった。
文化祭の発表で彼女はギターを弾きながら当時のヒットソングを歌っていて、わたしは知らない曲だったから曲名もわからないけれど、舞台に立っている彼女を見つめながら、ただ彼女が高校生になるまで過ごしてきた時間に思いを馳せたりしていた。

卒業式の前日、好きな子に最後に想いを伝えるかどうか悩んでいる子たちが教室の隅に集まって話をしていた。
明日までに手紙を書いてくる、と言って
私は心の中で、成人式まで待とう、と思った。学校が離れて、廊下ですれ違うこともなくなって、それでも好きだったら、わたしの気持ちを伝えてもいいことにしよう、と。

それから2年ぐらいが経って、わたしは19歳になっていた。
大学に好きかもしれない人がいて、でも好きなのか好きじゃないのかよくわからないうちに全てわからなくなってしまった。
あの頃卒業式に好きな子に手紙を渡していた子には大学で素敵な彼氏ができていた。

もうすぐ成人式だけど、わたしは彼女になにも言わないと思う。
ただ遠くから、彼女のことを眺めて、ああきれいだなあと思うだけだと思う。

それでいいの。今でも好きでなくてよかった。

 だけど彼女のことがだれにも知られないのはすこしだけ、残念な気がして
わたしは一人で完結させた一つの思い出の宝石を、海に投げることにしたのです。
瓶詰の手紙。 


 

夜、ベランダで、セカオワを聴く


「ただいま」
大学帰りに寄ったスーパーの荷物を床に置いて、洗濯物を取り込むためにベランダに出る。窓に映るわたしの耳元で、ほたるみたいに、Bluetoothイヤホンが青く光っている。桜の季節はもう過ぎてしまったけれど、セカオワの「夜桜」が流れている。

「あの時、僕らが数えきれぬほどあると、思ってたこの春はもうあと何回来るんだろう」

 

ベランダから見える空は真っ暗になっているけれど、すこし青さを留めていた。風に吹かれたハンガーを手に取りながら、夜空の中の丸い青いところを見つめる。その真ん中では、ブローチみたいに小さい三日月が、青さに守られるように光っている。
ちょうどその時、サビに入る上昇音に連なって、ベースの低音が花火の音みたいに心臓に響いた。

 

ーこんなんじゃまるで、映画を見てるみたいだ。

 スーパーからの帰り道、ママとパパが言うみたいに、自分は「」*1に入って、大きくなったら「めいだい」に行くんだと思っていた頃のわたしに、いまの私を見せてあげたらなんていうだろう、とふと考えていた。
不器用なせいで、自分の意志や感情をつぶしていることに気づかないまま、息を吸うように目の前の人の期待に応えてしまって、ときどき、自分でも気づかないうちに、隠しておいたわたしが、わたしの知らないところで、勝手に飛び出してくる。そうやって暴発的にキレる自分がほとほと嫌になって逃げた、のかもしれないし、もうすこし自分にちゃんとかまってあげるために、ひとりになった、のかもしれないが、とにかくいまわたしは、家族とか部活とか、昔のように強い帰属感を得られる集団に属していない。地元に帰ってかつての濃い世界を思い出したあとは特に、自分で望んでゆるい繋がりを選んだはずなのに、ときどき寂しくなったりかなしくなったり不安になったりする。

 

それでも自分の直感を信じて、固く愛され守られていた世界を捨てて、ひとりでいま、月をみている。不安と自信、そういう二つの感情が、夜空の青さと、小さな三日月と、深瀬くんの声と、音楽と、一緒になって、そっか、最後は映画みたいに、わたしの選択が綺麗に収まってくれるんじゃない、っていう期待と願望が、花火みたいに眼前に上がった気がした。こういう時があるから、もうすこしだけ頑張ってみようって思うんだよね。

 

もしかすると三日月は、青さに守られているんじゃなくて、青さを空いっぱいの暗闇から守るために光っているのかもしれないね。
ベランダで曲が終わるまで、小さな光を見ていた。

 

 

 

 

*1:ある私立中学の略称がひらがなで入りますが身内バレこわいので伏せます

ひとりぐらしはじめました!

これはサークルクラッシュ同好会 Advent Calendar 2018 - Adventarの22日目の記事です

 

みなさんこんばんは〜。ろくじです。

何を書くか決まらず時間がなくなってしまったので、読みづらいものになっているかもしれませんがよろしければおつきあいくださいませ。

 タイトルは愛しの矢澤にこ、まほうつかいはじめました!より

まほうつかいはじめました! - Google 検索

 

1.一人暮らしがしたかった

 今までにお話ししたことのある方もいらっしゃるかもしれませんが、私が大学進学に当たって一番重視していたのは一人暮らしができるかどうかでした。

 この選択に到るまでにもまあ色々な話があるのですが、時間がないのでまたの機会に詳細は書こうかと思います。(私が今書きたいのがそういう話じゃないだけ)

ざっくり言うと

・部活(弦楽)のパートリーダーに立候補したら親に止められ、「決めるのはあなた、あなたの好きにしていいのよ」と言いながらも「リーダーなんかやったら大学に落ちるぞ」「あなたにリーダーが務まるとは思えない、それで病んで不登校にでもなったら困る」「あなたのことを思って言っているの」「今までパパやママが言ってきたことで間違っていたことなんてある?」などと言われ結局「自分の意志で」立候補を降りてしまった

・しかしその後部活の最高学年として一年間を過ごすうちに、「親の意見を無自覚に鵜呑みにしてやめてしまった自分、なんかおかしくない?」と気づき始めこれは両親と距離を取るべきなのかもしれないと思い至る

・親が嫌いなわけではない(むしろ大好き)なため、大学進学の機会を逃したら親が他界するまで一緒に暮らし続けてしまう可能性が割とある

・しかし親の価値観に支配され続ける生活に耐えられる気もしない

・大学が地元だと妹とまた同じ大学になる可能性が割とある(妹とは幼稚園から高校までずっと同じ学校でした):学校と家庭の距離が近くなってしまって互いに生きづらくなる

ということにより、一人暮らしにこだわるようになったのでした。

 

2.しんせいかつのはじまりだ〜

 いろんな妥協とバトルの末に京都に進学することになりました。

ここが自分の街になるーふわふわ舞う桜を見ながら、わくわくしていたのもつかの間、あっという間に世界はまっくろになっていきました。そうです、ホームシックです。

 ー朝のZIPはところどころ関西版で寂しいから、NHKに変えたら「おはよう関西」

しょうがないから7時台はテレビを消して、8時からの朝ドラとあさイチを見て学校にいく。「お、はよう、よの、なか」朝ドラのテーマソングを聴いて、泣きながら朝ごはんの片付けをしていたー

  当然といえば当然かもしれません。あんなにやりたかったパートリーダーでさえ、親に説教されたくらいでやめてしまうほどに全ての選択を両親に委ね、何もかも依存していたのですから。お菓子の袋が開けられないなんてことから友人関係や将来のことまで事あるごとに「ねーママどうしようー?どう思うー?」とやっていた人が、ちょっと自立しようと思って京都に出てきたからといって本質は変わるはずもないのですから。皆が思春期を迎え、自分一人でやってきただろう一つ一つのことをないがしろにしていた私は、小学校低学年並みのスキルで生活をしていかなければならないのですから。

 「もう無理、全部無理」みたいになって泣きながら地元に帰ったことは何度もあります。そしてその度に飛んでいく交通費と実家のありがたみに触れて「一体自分は何をやってるんだろう」と泣きながら京都に帰る、そういう繰り返しを正直に言うと今になってもしています。

 

3.それでもここにきてよかった

 どうしても一人暮らしがしたい!といって実家を飛び出してきたことを、「何バカなことやってんだろな〜私は」と残念に思う気持ちは今でもあります。もう少し早く親の依存に気づいて、ちゃんと反抗期をやっていたら...。自分の意志みたいなものを小さい頃から持ってちゃんと自己主張して生きていられたら...。親の願望を汲み取って「いい子」であろうとしてきた反動が、あのパートリーダー事件と今に集約されているのだとしたら、ただの自滅とわがままじゃん。本当なら、両親との無駄な争いも、家賃とかの投資もなしに自分で人生を選べる人になりたかった。

 しかし過去の全てのifを回避し、「無自覚に被支配的な人生を送ってきた」という今までの自分のあり方を確定的なものとして見るなら、高校生の時にした自分の選択は決して間違っていなかったと思っています。それは、地元にいたら絶対に知り合えなかっただろう人と知り合えて、わからなかっただろう価値観に触れられたからです。(今まで一度も引っ越したことがなかった、というのも大きいとは思う)こうやって両親の知らない世界を知っていくことが「あなたのためを思って」いる両親から自分の人生を手に入れる方法なんじゃないかと、今は思っています。

 

 

アドベントカレンダーの登録を今日にしたのは今日が私の誕生日だからです。

昨日(今日)の忘年会で祝ってくださった皆様ありがとうございました。楽しいお誕生日になりました。忘年会と関係なく祝ってくださった皆様もありがとうございました。アドベントカレンダー登録時は誕生日に絡めた話をしてもいいかな〜と思っていたのですが関係ない話をしました。

 

明日から3日間はサークラ三銃士のみなさん(?)のブログがよめるようです。楽しみですね!!

(現在23:59)

 

Mac Book Proのシェルカバーを買ってみたレビュー

 先月かな、ついにMacを手に入れたんですよ。

 

 私は潔癖症で、カフェとか食堂とか不特定多数の人が飲食するところに自分の私的な場所(おふとんとか)で使うものをぺたぺた置くことに抵抗があるので、シェルカバーを買うことにしました。

 シェルカバーは放熱を阻害する懸念があるとか、デザインを損なうとかでインターネット上ではあまりいい評価をされていないんですけどね。

(ちなみにシェルカバーっていうのはプラスチックとかシリコンとかでできたパソコンに密着するタイプのケースのことです)

 

1.決め方

・色

シェルカバーは色の種類が豊富で、ピンクにもかなり惹かれたのですがまだ買ったばかりなのでこのスペースグレイをもう少し楽しんでもいいかな〜と思ったのでクリアを選ぶことにしました。

・商品(メーカー)

 シェルカバーはそもそも人気がないので記事が少ないんですよね。いかにもアフィリエイトっぽいサイトばかりで、実際に使ってますよ〜っていう人の声が見えてこない。

 アマゾンのレビューもあまり参考にならず、偽レビューの香りのする投稿と明らかな不良品に関する投稿ばかり。

 もともとアマゾンで買うと決めていたのですが、どの商品も似たり寄ったりでどれ買えばいいんだか全くわからん。

 色々考えた末にこの商品に決めました↓

 

www.amazon.co.jp

 

理由その1:同じ商品の色違いのレポ記事があってまあまあ良さげだった

EstoneのMacBook/MacBook Pro用シェルカバーを買ってみた - TIS ENGINEER NOTE

理由その2:怪しい日本語が少ない 怪しいレビューも少ない 販売店がきちんとQ&Aに答えているので不良品が届いた場合の返品手続きが楽そう

理由その3:商品自体の致命的な不具合が他の商品に比べて少なそうだった

 レビューを概観するとシェルカバー自体運ゲーの要素が強そうなんですよね、当たれば使えるが、はずれればすぐに壊れる。でもこのEstoneくんは明らかな「はずれ」のレビューの比率が他の商品に比べて少ないような感じがしました(まあそもそも他の商品との総レビュー数が大きく異なるので割合を出したらそう変わらないかもしれない。めんどくさいのでそこまではやらなかった)

理由その4:ちょっと高い

 相場が1500円に対してこれは2500円なんですよね。まあでも、1500円ではずれを引くより初めから少し課金してもいいかなあと感じたので少し高いものにしました。

 

2.届いた!

 アマゾンって便利ですよね。日曜深夜に注文して火曜に届きました。

アマゾンのちょっとプチプチの茶封筒に入って届きました。CDとか注文した時と多分同じやつ。

 梱包は、上ふたをフィルムパックしたものを下ふたと合わせてもう一度フィルムパックしてありました。上ふたと下ふた同士が傷つけ合わないように、間に緩衝剤が挟まれてパックされていたのが個人的に高評価です。

 上ふたは2層梱包のおかげでかなり綺麗でした、一点黒い点がありましたが探さなければわかりません。

 しかし下ふたは生のままパックされていたため、すでに傷が二箇所ついていました。初めはまじか〜と思いましたが底面なのでどうせすぐ傷はつきますししょうがないですよね。

  フィット感は現在かなり◯です。スマホのハードケースをはめる時ぐらいの力でぐぐっとやったらいい感じに入りました。

 そしてビジュアルですがなんかつやつやしています(当然)

これをダサいという人もいるのだろうなあ、と思いますが私は嫌いじゃないです。つるつるかわいい。

 

 3.懸念

・放熱問題

今はそれほどハードな作業をしていないので問題は感じませんが少し気になります

・上面グラグラ問題

少々重みが増すため、パソコンを揺らすとだんだん画面が奥へ開いていきます。

・耐久性

数ヶ月で欠けや傷が発生したらおこです

 

というわけで開封の勢いで雑なレビューを書いてみましたが別にこれはみんなもシェルカバーを買おうと言いたいのではなくただ単にお菓子が食べたくてしょうがないのをごまかすこととアドベントカレンダーが全く進まないのをなんとかすることを目的に書いただけのものです。ほら、なんでもいいからひとつ書けばどんどん書けるようになるってよく言うじゃないですか。

 

まあでも、もしシェルカバー買おうかお悩みの方がいらっしゃったら参考になるといいですね。